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“偶然”でいいわけないだろ
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2年間の休職の後、2003年8月、復職した。1月から7月の日本ライトハウスで、パソコンを主体とした生活訓練を受け、会社・上司の理解もあり、メデタク職場にもどれたわけである。
この背景には、二つの“偶然”があった。
話は、ココから。まず、一つ目の“偶然”は。
2002年、秋のある日。妻は、友達から聞いた話をしてくれた。
「きのう、PTAの役員で福祉の集まりに行ったらしいの。司会の男の人が、配布した資料を読んで説明していったんだけど、質疑・応答のとき、カチカチという音がするのに気づいたんだって。なんだろうとよく見ると、その人が、応えながら、点字で、メモをとっていた音だったんだって。そして、最後に、会議のまとめを、そのメモを読みながらされたらしいのよ。後でその人が全盲であることを知ったらしいんだけど、音に気づくまでは、全然わからなかったって。すごいわね、一語一句間違わないで、資料も読まれてたらしいのよ!」
翌日、妻と一緒に、市役所にいき、その方に面会した。障害者手帳の申請や盲人福祉センターでの歩行・パソコンなどの訪問指導のことを、はじめて、聞いた。さっそく、病院で診断書を書いてもらって、手帳の申請に行った。
そのとき、二つ目の“偶然”が起こった。
申請手続きの担当の方が、
「堀さん、明日、ある人を面接のために日本ライトハウスという所へ連れて行くのですが、よければ一緒にどうです?」
ライトハウスの「ラ」の字もしらなかったのですが、ヒマはいくらでもあったので、「お願いします。」と、OKした。
次の日、ライトハウスに車で連れて行ってもらった。その方の面接が終わると、堀さんどうぞと、突然の面接がはじまった。
「君は、今後どうしたいのかね?」
「あんまり考えてないんですが、できれば、今の会社に戻りたいと思っています。」
「そうか、それなら、1月から入所しなさい。」
「ハイ。」てなわけで、手帳もまだ持ってなかったのですが、そのとおりライトハウスに入所したのです。
3月に、会社の上司、人事の人に、ライトハウスに来てもらい、パソコンでメールやエクセルを操作するところを、実際に見てもらいました。“百聞は一見に如かず”とは、まさにこのこと。目が悪くても、パソコンができるんだとわかってもらえたことが、一つの大きなキーポイントでした。
その後、順調にパソコンの技能を習熟し、平行して、会社と仕事の内容を詰めていった。
今回の復職にあたり、日本ライトハウスのはたした役割は、非常に大きい。
今にして思うと、あのとき、PTAの友達の話が、モシなかったなら、と想像するだけで恐ろしい。今でも、家にこもって、うつ病で苦しみ、家庭は崩壊していたかもしれないのである。
“本当にラッキーであった。”
この話はココまで。
この二つの“偶然”により、今の自分がある。
しかし、果たして、“偶然”でいいのだろうか。“ラッキー”で済ましていいのだろうか。
“偶然”で、“ラッキー”でいいわけないだろ!
by堀 康次郎