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高齢の視覚障害者に必要なのは?

 福祉の世界に入って20数年の間、一言では語りつくせない様々な思いがありますが、 特に在宅における高齢者の現状について、それまで一般企業に勤めていた私にとって、あまりにすさまじい状態に頭をハンマーで殴られたような気がしました。
 文面では全て言い表せない数多くのケースの中で言えることは、しっかりした家族の中で生活し、身の回りのことは自分でできる力があることは、なんと素晴らしいことかということです。そんなことは当たり前のことだと言われるかもしれませんが、実はそれがないために、悲惨な状況に置かれている人が多いのです。天と地の差といえるかもしれません。  また家族と同居していても、家族関係が悪いために充分な介護が受けられなかったり、果ては虐待や暴力、介護拒否なども珍しくありません。

 以前、農村部で地元の方の要請で、一人の女性高齢者と面会するために、一軒の農家を訪問する機会がありました。大きな豪邸で息子夫婦が生活されていましたが、通されたのは 小さな離れの一軒家でした。家を見て驚きました。壁が所々に穴があいて中が見えていて、窓ガラスも一部割れている状態でした。季節は11月でした。さらに部屋の中は悲惨な状態で、生ごみと汚れたオムツが散乱する中で寝かされており、いつの日かわからない残飯が放置されていました。沸いてくる怒りを必死に抑えながら面会してわかったことは、両眼白内障による視力低下、下肢筋力低下による歩行困難、軽度の認知症があることがわかりました。入浴も数ヶ月していませんでした。

 このケースは介護保険導入の数年前のことでしたが、問題なのは本人及び家族の福祉に対する偏見です。 結局、福祉に頼ることは恥であり、周囲の人の目は必ずしも好意的ではないことを感じることにあります。ですから家の外へは出ない、出さないという心理が厳然としてあるのは事実です。これは何も農村部に限ったことではなく、大都会の中であっても同じことが言えます。 
特に高齢者は自分が要介護者になっても状況の変化、生活の変化を嫌うことが多く、さらに一人暮らしの高齢者はそれが顕著です。ましてや視力障害を持った高齢者やその家族は家の外へは危ないから出ない、または出さないというケースが目立ちます。
ある意味、自力で情報を集めたり行動できる人、または家族が援助してくれる人はそれなりに恵まれているかもしれません。 増加の一途をたどる高齢者人口、家族関係の崩壊は事態をますます困難なものにし、社会の底辺で苦しむ人たちがさらに増えるものと思われます。
私はそのような底辺の方々、特に視力障害者へも手が届くような、きめの細かい配慮を考えるならば、病院内サロンは地域密着型で地域の民生委員や児童福祉委員、社協、居宅介護支援事業所などとも連携していく必要があると思います。
そのような意味で、市立池田病院のサロンは憩いの場であると同時に、そっと救いの手を差し伸べる場とも考えています。
大切なことはお互いに悩みを共有すると同時に共感し合うことであり、本人と共に家族の方がまた前向きに生活できるようになるためのスパイスの役目をすることではないでしょうか。
by 嶋田k 

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